小田急通勤電車の新時代を作った車だよなぁ・・・小田急電鉄9000形

 え〜 ネタ書く頃にお星様になっちゃってる・・・ってのはちょっち不本意でありました。

 時は通勤地獄が叫ばれてた頃、民鉄としても都心乗り入れを果たしたいなんて各社思ってまして、方や日比谷線を介して東武東急が銀座日比谷に攻め込み、京成京急が日本橋浅草に攻め込むようになりまして、それと同じような思想で小田急も、国鉄と共に千代田線を介して都心乗り入れが果たせるようになったのでありました。

 地下線内はですね・・・やっぱり熱がこもるってんで、カム軸の抵抗制御な車は常に熱との戦いでありました。国鉄では基本的に強制通風式の抵抗器を入れて小型化してたりしたのですが、地下線ではそのファンがホコリを巻き上げちゃうというキケンがありまして、強制通風式はちょっと・・・ってなっておりました。

 なお、京葉線や総武快速線に関しては「トンネル」規格でアナボコ掘ってるので断面がちょっと大きいんですね・・・ってことで、ついこの間まで強制通風な抵抗器の車が堂々と走ってたりしました(笑)

 そんな事もあって、国鉄の103系1000代なんかも自然タイプの抵抗器、千代田線も、初期の5000系もやっぱり自然通風抵抗をぶら下げてましたが、それがやだってことでチョッパ制御の6000系なる新型を開発しておりました。 チョッパ制御なら必要なだけの電気をモーターにくれてやれるので熱が出ないんですね・・・

 で、昭和47年、小田急としても地下線内で必要以上に発熱しないようにってことで地下線内では回生ブレーキが効くようにチョッパ制御を採用しました。ただし、地下鉄用の高級チョッパは高いついでに高速域がちとつらいってことで、100キロ級の速度でもOK、カム制御と併用出来る廉価版の界磁チョッパを使いました。

 ただし、回生失効が怖いことと他形式(2600形や5000形とはくっつける前提だったでしょう・・・もしかしたら4000形も)との併合も考慮して地下鉄では出す事がないだろう75キロを超える速度と他形式とくっつけたときは回生ブレーキを殺して発電ブレーキに切り替える機能までついてるんだとかで・・・なかなか凝ったというか、マニアックな機能がついております。

 マニアックというと、メカニカルなトコだけではなく、外観もかなりいぢりました。

 今までの、小田急独特ながらも比較的地味なカオな電車が普通に走ってたトコに、ガラスの周りを額状にへこませ、それまで上に納めてた前照灯を下にもっていき・・・ちょっと前例ないようなカオになりました。

 今改めて見るとなかなかシブい外観って思うんですが、出た当初の頃を考えると、かなりゴツいカオに見えまして、ニックネームをガイコツとか言われちゃったりしましたが・・・側窓を一段下降タイプにしてスッキリさせた事も手伝って、多分沿線ウケっはそんなに悪くなかったんじゃないのかな? なんて思っております。

 ただ、カオのカタチから臆するに、貫通路をくっつけるという芸当ができなさそうなんだけど・・・あれ、貫通10両で千代田線に入るのに4+6の組成でもってって大丈夫なのかな?・・・ 今は非常通報がインターホン式になってれば貫通じゃなくてもいいよん♪ という規定になってるのでかまわないんですが、当時の車両にそんなたいそうなモンはくっついてないと思うんですけどねぇ・・・

 無理矢理4+6で千代田線攻めしてたのかしら? 今の1000形もその辺はダウトなんですが、インターホン式の非常通報があれば全く問題にならないし気にしてなかったんですね(笑)

 それにしても、思えばもお、30年以上オチてたんですねぇ・・・(H18年現在) さすがによる年波と、ちょっとマニアックな制御のためのパーツ確保と、おそらくその辺の問題なんだろうなぁって思いますが、平成18年3月のダイヤ改正にて運用からはずれました。奇しくもライバルと称する線で113系が運用終了したのと同じ日ってのはちとヒニクでしたね・・・

(H18.6.10)