使い方によってはなかなかのマシンですが・・・○浜○行700形

 え〜 まず、この電車、運チャンウケ最強に悪かったです(爆)

 てか、やっぱりゼニかかってないよな・・・ってのが実情だったりもするんですけどねぇ・・・

 最初に出てきたのは昭和42年のこと・・・時代は高度成長期でシャレにならないほどのラッシュ・・・浅草線直通がらみもあり、汎用性の高い1000形を作り続けていたかっただろう○浜○行も、さすがにシビレきれちゃったんでしょうねぇ・・・とにかく、電車のタマ数がは1両でも欲しかっただろうこの時期、とにかく収容力の有る電車を・・・ってんで、出てきたのがこの700形であります。

 18m級にしてはかなり珍しい片側4ドアで、1000形では全部モーターつき♪ というのが有る意味信条だったんだとおもいますが、これやるとゼニかかりますので、700形は、2M2T(両端モーターつきで、中間にはモーターなし)にして・・・運転台周りは1000形に極力あわせ・・・とにかくゼニかからない電車が出来ました♪ ってのがこの700形だったんだと思います。

 出た当初、冷房なんて重たいモンなかったし、電源関係もそんなにデカいのがなかったので、加速度は2.7km/hs(1000形なんかは3.5d(^-^)ねっ!)というカタログスペックなんですが、中間車を1両(・_・ )ノ" ゜ ポイッしておくと、すげぇいい加速してくれたそうであります。 ところが、冷房改造のカラミで、2両2両のコンビが、4両1組状態になりまして・・・中間を(・_・ )ノ" ゜ ポイッして3両で大暴れってのができなくなり、目方も重たくなったようで・・・加速度そのものも相当オチてると思います。

 当時の朝ラッシュはかなりの乗車効率でして、3ドア車だったら多分裁ききれないよなぁ(横浜8時過ぎ 品川8時半過ぎくらい)という中、これが3つつながった12両ならかなりの収容力で攻め込めてたはずです。ホームに居て、48カ所のドアからドド〜って人が降り、その後ドド〜って乗っていくあのシーンは、駅員としてホームに居たとき正直ビビりました。今やそれも必要ない時代になってるようですが・・・

 ただ、この電車、モーターもかなり強力なのが載ってた関係上パワーの出方が乱暴でしたからねぇ・・・ウェット路面だと、一気に気性の荒さを出してきますが、ブレーキも気性荒かったりしますし、やっぱり全体像ではブレーキも弱いもんで、晩年は通勤快特以外はかなり使い勝手の悪い電車になっておりました。

 そんなこんなで4ドア車が必要ではない時代になり、この電車の役目も終わりになった頃○浜○行を去っていきましたが、この小さめな加速度が功を奏してうどんの国では割と重宝に使えているようです。基本東洋電機の車ばかりだったのですが、タマがなくなってきた頃は三菱な車も行ってるからよほど気に入ってたのでしょう(笑)

(H23.11.11)