これぞ、第2世代の「新幹線」車両♪ JR東海100系

 東海道・山陽新幹線は、昭和39年の開業からずっと0系を使っておりました。新幹線の思想として、東京〜大阪を短時間で結んで大量に運ぶというビジネス思想でありまして、内装というと、どっちかというと質素な部類になっておりました。

 イマドキの方々にゆうと、「マジ?」って突っ込まれそうなのが、当時の0系の座席なんざ、転換クロスだったしねぇ(-。-)ぼそっ もちろんリクライニングなんかしませんっ♪

 まままま、グリーン車に関しては別ですけどd(^-^)ねっ!

 さて、そんなノリで、最初12両で運転を開始した0系も昭和45年の大阪万博にあわせて16両にして輸送力を増やして、最初の160キロ運転(?)から200キロ運転で、ひかり号も東京〜大阪を4:10→3:10にして「速い新幹線」ぶりをばっちりアピールできるようになりましたが、これが、山陽新幹線、岡山まで延び、博多まで延び・・・となると、当時の転換クロスぢゃねぇ・・・ってことで、ひかり号からですが、座席をよくしました。

 新車の時点でそうなったのが0系2000番台ってヤツなんですけどね♪ その内装を使用したのが200系だったりもします。

 さて、この200系も0系登場から20年以上・・・技術力の進歩もすごいわけですが、その200系と比べると大分見劣りするようになった0系を思い切ってモデチェンしたのが、この100系だったりします。

 0系のおっとりしたカオつきから比べると大分シャープになった感じ、初めて見たときはこのカッコ良さに感動したってモンでありますσ(^_^)

 座席間隔も大きめにとってくれてるようで、3列座席もきもちよく回転しますしd(^-^)ねっ! そりゃぁ出たときっつーたら新時代の幕開けかとおもいましたもんねぇ・・・2階建ての車両もついてるし・・・最初の頃なんか食堂車が2階だかで、これがまたよい感じぢぇん♪ 駿河湾とフジサンが思いっきり、高いトコから見られるんだからさぁ♪

 ただ、まぁ、時代の流れなんてのもありまして、食堂車をカフェテリアにしちゃったりもしましてね・・・それはそれ、仕方ないんでしょうけど・・・

 たしかこの100系が出たのが昭和60年・・・最高速を230キロあたりに上げて、私の親戚がいる岡山まで・・・σ(^_^)の記憶じゃ4:10のはずが、3時間半くらいで行くようになったのがショックだった記憶が・・・(笑)

 200系の思想で作ってるはずなので、モーターのパワーも上がってるはずで、パワーに余裕が出てるので、0系の16Mに対して12M4T・・・そのT車を全部2階仕様にしたのが「グランドひかり」というJR西日本の車両でありました。 あれもエレェ迫力でしたよねぇ・・・♪

 ○浜○行に乗ってたころ、八つ山のガードのトコでこの100系を見たときは、その大きさ、迫力にブルったもんでありましたが、そんな私のヒーロー(?)の100系も、東海道新幹線270キロ時代になるとジャマモンになるそうで・・・

 順次姿を消すようになるそうであります・・・新幹線の中で一番カッチョイイとおもうんだけどなぁ・・・バランスの良さとかを考慮しりゃ500系なんかよりもよっぽど・・・

 個人的には、東海道新幹線にこそ、E4系みたいな車両をガンガン入れろ!と訴えたいトコでありまして、そういう意味では100系みたいな車両はもうちっと長生きして欲しいんですけどねぇ・・・平成15年あたりで(・_・ )ノ"" ゜ ポイッになるようであります・・・ま、例によってJR西日本区間ではこだま号として生き残るようでありますが・・・