Letter From 

   LosAngeles

ギャングスタ・パラダイス


 80年代、ロスはギャングとドラッグが横行し、治安も最悪だった時代だった。特にギャングは黒人、白人、メキシコ人といった人種による抗争を中心として毎日のように殺し合いがあったらしい。

 ロス暴動をきっかけに、LAPDはギャング摘発に力を注ぎ、90年半ばに入ってからは、ロス市内のギャングは80年代の約3分の1にまで減ったそうだ。

 しかし、90年代後半からコリアンタウンを中心に、アジア人のギャングが勢力を延ばしてきている。
 韓国系ギャング「K.K.K」(白人至上主義じゃないよ)やベトナム、タイ、などの人種からなる「アジアン・ボーイズ」などは、現在ロスで最も恐れられているギャングとしても有名だ。
 実際99年に入って抗争が激化。民間人を巻き込んだ殺人事件が多くなってきた。問題なのは、構成員が15〜25歳と若いことだ

 LAPD は、全力を上げて摘発に乗り出したが、今回、警官の大量汚職が発覚し、大掛かりな捜査、摘発が困難になってしまった。おかげでロスに少しだけ危険な臭いが漂いはじめてきた。とニュースキャスターが真剣な表情で言っていた。

 ずいぶん前の話。

 メキシコ人の友達に誘われてパーティーに行く事があった。
 いつものようにブラジル、イタリア、ドイツ人などと一緒にフラフラと付いていった。「ただ酒」と言う言葉に弱いのはどこの国でも一緒だ。

 「メキシコ人のパーティーは独特の雰囲気」と聞いていたので、結構楽しみにしていたんだな。
 イメージとしては「メキシコ音楽」「テキーラ」「エロ系メキシコ娘」そんな事を想像していたのは俺だけじゃなかった。みんな教養に乏しいからそのくらいの想像しかできないんだな、これが。

 パーティー会場は普通の一軒家。5人くらいで一緒に住んでいるらしい。
 部屋の中は、デカプリオの「ロミオとジュリエット」みたいに金ぴかの聖マリア象やキリストの肖像画や置き物がいたるところに置いてある。それが100本近いロウソクに照らされてとても綺麗だ。

 参加者は18〜30歳くらいまでのメキシコ人50人くらい。庭でバーベキューをしながらコロナ・ビールにテキーラ。メキシコの音楽にエロ系メキシコ娘もしっかりいる。
 「ビバ!メキシコ!」俺はこういうのを待ってたんだ!

 友人に留学生と紹介されると、みんなよってたかって歓迎してくれる。
 いいやつらばっかりだ。得に日本人は滅多にメキシカンのパーティーには来ないらしく日本の話を聞かせてくれとか言って引っ張りだこだった。気分がいい。

 「韓国人はメキシコ人を雇はないが、日本人はメキシコ人も黒人も雇ってくれる。だから日本人は好きなんだ。人種差別をしないから。」
 そう1人のやつが言い出すとみんな「そうだ!」といって乾杯がはじまる。
 韓国人の友人が来なかった理由が分かった。そうだ、仲が悪かったんだっけ・・・そんな事を思いながも、あまりに陽気な雰囲気にだんだん「ハイ」になってきた。

 エロ系メキシコ娘は本当に美人だった。酒をすすめかたも上手い。

 しかしチャンス(何の?)など巡ってくるはずもなく、ただメキシカン・パーティーを心から楽しんだ。いろいろなパーティーに行ったが、ここまで楽しいのも珍しい。
 とにかくみんな「陽気」その一言だ。

 楽しかったのはここまで。

 気分もいい感じになってきた頃。みんなが家の中へ入っていった。
 今日はNBAのレイカースの試合がある日だった。
 テレビの前は大騒ぎになっている。俺もレイカースファンなのでもちろん盛り上がった。

 ハーフタイム。すっかり酔っぱらった俺は「ひと休み」と思いソファーへ腰掛けた。
 「ガリ、ゴトン!」
 ん?なんだ?俺はボヨヨ〜ンな頭で何か落としてしまったことに気が付いた。
 なんじゃこりゃ!ショットガンじゃねぇか!

 一気に酔いがさめた!何でこんなモンがソファーの間に挟まっとんねん!

 女の子が俺の顔を見て笑っている。他の皆も大爆笑だ。どうやら凄い顔をしていたらしい。
 そりゃそうだろ!ソファーからショットガンなんて!ここはギャングのアジトだったんだ。
 日本人の来ない理由はコレだった。俺が阿呆だった。十分予想できる話じゃねぇか!

 呆然としている俺に「ソファーをめくってみろ」とパーティーの主催者が必要以上に勧める。
 いやだ!絶対なんかある!かなりびびってたら「しょうがねぇなぁ」と言った感じの顔をした女の子がソファーをめくってみる。丁寧にソファーをくり抜いてあるその中には案の定「銃の山」だ。
 30丁はあるだろう。しかもハンドガンじゃないショット・ガンやサブ・マシンガンばっかりだ!

 おいおい!戦争でもおっぱじめる気か?

 1人の男が「自慢の銃だ」と言っておもむろに背中からシルバーの銃を取り出した。
 この馬鹿は肌身離さず銃を持ち歩いているらしい。
「俺のも見てくれ」「俺のも・・・」みんな何故か俺に銃を見せたがる。ここに「第1回、メキシコ人銃自慢大会」が始まってしまった。
 この銃はあーでこーで・・・この刺繍は・・・ほんとはマグナムが・・・

 俺に説明されても困るんだよな。使い道ないし・・・

 でも面白かったのは、みんな銃に同じ模様が入ってるのよ。そしてそれと同じ入れ墨をし、事あるごとに同じサインを指で作る。これらはギャングの必需品らしい。
 そんな事をしていたら、イキナリなんの前触れもなくみんなが一斉に上着を脱ぎだした。
 「第1回、メキシコギャング入れ墨自慢大会」の始まりだ。
「どうだ!」と言われても「は・ははっ・・クールだね・・」俺の精一杯の言葉がそれだった。

 もう自慢はええっちゅうねん!

 挙げ句の果てに、嬉しそうな顔をした男が、大量のコカインを持ってパーティーにやってきた。

 「パーティーは終了!飛びたい奴は残れ!」そう誰かが叫ぶと半分くらいいなくなった。
 潮時を待っていた俺は「いやァ、楽しかったよ」といってさっさと帰るつもりだった。
 しかし「お前らのこと気に入ったから無料でやってっていいよ」との御言葉・・・うれしくない。
 イタリア人が「明日大事な用があるから・・・」といってその場をしのいだ。ナイス判断!
 しかしそいつは、エロ系メキシコ娘が「明日暇?」と聞かれたときに「もちろん!」っと答えていた。
 後で相当悔しがっていた。「あんなチャンスはめったにねぇ〜!」
 そんなチャンスが1度もなかった俺は心の中で「ニヤリ」としたが、「残念だったね」と慰めといた。
 やっと解放される・・・捕虜って釈放される時、きっとこんな気持ちになるんだろうな・・・

 しかし!さすが俺達!いままでと同じように悪い事は重なるもんだ!

 俺達はやっぱり帰れなかった。
 ブラジル人のアレックスが酔っぱらってトイレから出てこないのだ!
 冗談じゃない!さっさと消えないと!その願いも空しく結局夜中の3時までそこに居るハメになった。
 アレックスを介抱している間にイタリア人が酔いつぶれた。いいかげんにせいや!

 介抱なんかやってられるか!もう知らん!と外に飛び出し、ブランコをキーコキーコするくらいしかなくなり、結局時間を持て余してしまった。そんな時、同じような目にあっていた気の良いエロ系メキシコ娘が話し掛けてきた。いつのまにか俺達は外で「人種差別について」激論を交わしはじめた。
 なんでそんな話になったのかは分らないが、しまいにはメキシコ人2人、ブラジル人2人、ドイツ人1人日本人1人の計7人による「第1回、4カ国対抗、人種差別激論会」になってしまった。
 なんとも大会の多い日だったが、これは収穫だった。

 メキシコ人がどのようにしてアメリカに来て、夢を見て、現実と戦い、今を生きているか。
 彼女は熱く語ってくれた。俺は彼女を「エロ系メキシコ娘」と心に思ってしまった事を深く反省した。
 みんないろいろな事を考えているんだ。たとえギャングでも・・・
 しかし、ギャングはギャング。人も殺せば、悪い事だってしている。いくら生きていくためとはいえやっていい事と悪い事はあるはず。結局、そういった社会の現実に負けた事に変わりはない。
 たとえそれが険しい現実だったとしてもだ。もちろんそんな事、俺には言えないけどね。

 後日談。
 「ワープ」というのが彼らのギャング名だった。
 後で聞いた話だと、「ワープ」は50人くらいから構成される小さなメキシコギャングだった。
 大きな抗争もなく、他のギャングとも仲がいいらしい。
 「だから大丈夫なんだよ」と俺達を連れて行った友人は言う。

 ふざけるな!しばくぞ!2度といくか!

 それよりも、なんで俺達ばっかりこんな目にあうんだ?との疑問が全員の脳を駆け巡った。
 悪運がここまで降り注ぐとさすがに心配になる。
 翌日、緊急会議が召集されたが、結局酔いつぶれてしまった。
 「なるほど、これがいけないんだ。」と俺は思うのだが、警察とのトラブルが一番多い俺が厄病神になってしまった。納得いかないぞ!

 ちなみに、この話を留学生にすると、結構似たような体験をしている奴が多い。
 それだけロスにはギャングが沢山いるって事なんだよね。