Letter From 

   LosAngeles

テロと俺


 あの日はちょうどお休みで家でグーグー寝てましたよ。そしたら日本の母(マクドナルドのドナルド似)から珍しく国際電話がありまして「どないしたん?こんな朝はよから」とちょっと不機嫌。ところがどっこい、そこで初めてテロを知らされました。(管理人注:NY時刻で9時頃ですのでLAでは6時頃か?)

 9月11日の事ですわ。

 んでテレビを付けたらちょうど2機目の飛行機が激突するところだったので大騒ぎ。その直後から「次のテロの標的はロス」とかいう情報がテレビから流れてきた日にゃパニックですわ。

 昼過ぎにはテレビで「生物、科学兵器使用の可能性も」などと脅しをかけてきやがる。
 懐中電灯をとりあえず近くに置いといてず〜っとテレビの前で正座。
もう24時間テレビはつけっぱなし。
 しかも社会的不安になると暴動が起きる(過去にもロスであったし)可能性もとかとにかくテレビが脅かしまくるんで大変だよ。

 話はそれるけどロス大暴動以外にもNBAレイカース優勝の時も暴動は起きてるし最近だとあるパンクバンドの無料ライブでも何故か暴動が発生してる。つまりロスは全米でも暴動が起きやすい地域として有名なんですわ。

 で、日本に電話すれば「まだハイジャック機がうろついてるらしい」なんて話を聞かされる始末。はぁ?そんなニュースやってねーぞ! 正確な情報がまったくわかんないかなり不安な状態がまる一日続きましたよ。(後で聞いたらその情報の出所はテレビ朝 日。またお前かよ!

 ちょうどオイラの住んでる所は戦車なんかを置いておく小さい基地の近く。なにが笑えなかったって、2日目にして湾岸戦争で一躍有名になった迎撃ミサイル「パトリオット」が、ずで〜んと配備されてるじゃないか!
 これがまたオイラの不安を倍増させるのよ。

 しかもね、9/15からはNY出張だったのよ!初めてのNY。ぶちこわしかよ!

 情報が入って来ないという状況がこれほど恐いと思った事はなかったよ。
 普段は「へ〜そんなことあったんだ〜」程度にしか見ないニュースの必要性を改めて実感。(信用度はイマイチだが)

 3日めになると人種差別的犯罪(ヘイト・クライム)が発生。
 アラブ人と勘違いされたインド人がリンチで死亡。ついでにオイラのアパート近くのイスラム教徒の寺院に銃弾が打込まれる始末。
 ここら辺一帯に厳戒体制が発令されて煙草買いに行くのも面倒になっちゃった。

4 日目に煙草を買いにコンビニへ行くとイスラム寺院におおきな垂れ幕。
「我々はテロと断固戦います」「我々はアメリカ人です」だって。
う〜ん・・・こりゃ大変だわ。

 ちなみに俺の彼女の通う大学では、アラブ人の教授の授業が休講。
 お気持ち御察しします。

 1週間もすると学校も平常になるんだけどね。
 オイラのアパートは近くに学校があるので通学路になってます。
 あら?やけに生徒が少ないわね?・・・半数以上が登校しなかったんだってさ。
 しかも、それから1ヶ月。アラブ人の子供をまったく見なかったよ。

 やはり一番の被害者はアラブ人だと思う。
 街で異様なまでにアラブ人を見かける事が少なかった。たまに車に乗ってるのを見かけるんだけど、車には星条旗がビッシリと貼ってあった。多分自己防衛なんだと思う。
 別にその人が何かしなくても、感情ってやつは恐いもので、あの時期は全米でアラブ人に対して公然と嫌がらせが行なわれていたらしい。そんなニュースは毎日のように流れていたし、それを観た馬鹿が面白がってまたそれをしてしまうという悪循環が発生していたよ。

 そうなるとオチオチしてられないのが日本人
本土が攻撃されたとなると、必ず出てくるのが真珠湾攻撃
「おいおい!戦争とテロはいっしょかい!」と突っ込む余地なんかありゃしねぇ!
 毎日ラディンと世界貿易センタービルと真珠湾とをテレビで流された日にゃあ、馬鹿なアメリカ人はな〜んか勘違いしてしまうんじゃねーか?と不安にもなるってもんだ。
 ま、その心配はただの心配で終わったからよかったもののね・・・・

「UNITED WE STAND」というスローガンが掲げられ、町中の家の玄関と車には星条旗がはためき、街はほんとうに異様なムードに包まれてましたよ
夜の7時以降に車がめっきり少なくなったのは、社会不安と会社帰りのオヤジがまっすぐ何処にもよらず帰宅。(このためレストランは一時致命的な被害に)
 さらに無気味だったのが、あんなにやかましく24時間空を飛んでいた飛行機やヘリがまったく飛んでない(いや〜おかげで星が綺麗でした)
 たまに空から聞こえるのは戦闘機の爆音とサーチライト装備の警察のヘリだけ。
夜中には通りを軍用車や戦車を積んだトラック、パトカーしか動いてないし・・・

 これってロスにしては無気味なことなんですよ。

 そんな感じで噂や不安の中で暮らしていたけど、それでも他の州に比べたら大した事なかったみたい。さすがにLAーNYは遠い!まさに対岸の火事。(他の州の話を聞いたら、夜間外出禁止令が出てたっていうからね)

 てなわけでアメリカ第2の都市であるLAの企業は大忙し。NYの仕事が全部こっちに回ってきたんだから。ウハウハですわ。
 それに比べて俺の仕事がまったくない! アメリカ国内でも会社から飛行機乗っちゃダメなんて言われてたらしいよ。まぁ、好き好んでこの時期に乗る奴はいないわな。

 だから日本からのお客さんがみ〜んなキャンセルで1ヶ月ず〜っとぼんやりするはめに。しょうがないから「来ないなら行くしかない」と日本へ行く事にしましたよ。

 で、ここからが本題。

 日本に帰国する朝、彼女を大学まで送り届けてから、車を預かってもらう友人宅へ直行。空港へはタクシーとバス以外の乗り入れが禁止されていたので、先にタクシーを呼んでもらいました。なにせセキュリティ・チェックが厳しくて出発の4時間前には空港に来いと言われてたので・・・

 で、来たよタクシーが。運転手は・・・ターバン巻いたアラブ人!
 なんてオンタイムなんざましょ!

 でもまぁ、さっきも言ったけどそいつが何かした訳じゃないしね。問題は何もねぇ?

 で、空港に着くころ、空港の手前で警察による検問。前のタクシーはちょっとスピードを落とすくらいでスイ〜ッとパス。ではうちらも・・・

 やったよ!止められたよ!さすが!

 ちょっとした差別的犯罪じゃねーの?でも、免許証と営業許可証みせればオッケーちゃうの?・・・・あれ?どしたの?

 はぁ?営業許可証の期限が昨日まで????

 さ〜始まった!すったもんだだ!

 「おいおいおい〜!俺飛行機に乗り遅れちゃうよ!ねぇ、ちょっとあんた!俺お客さんだよ。ここから荷物持って歩いていけってか?」と警察に怒濤の抗議。

 てなわけで25分の足止めの後、なんとパトカーで空港まで御案内されてしまいました。パトカーから普通の日本人が下りてきて警察に荷物持ってもらってたので、みんなからは白い目で見られましたよ。・・・・・・・とほほほほ

 冗談みたいでしょ?残念ながら実話なんだな。いいネタになったよ・・・・
 しかも、運賃払うの忘れたし。

 で、テロも一段落ついた頃に始まったのが炭疽菌テロ
 しかも俺が去年まで働いていたSONYの映画会社のスタジオに送ってきたじゃないか!
 え?俺のいたオフィスの隣?
 
で、なんで俺の所に電話が?一応確認のため?

知るか!・・・・・しかもただのイタズラだったらしい。

 こんな感じで結構被害(?)もあったわけですな。
 ちなみに9/11という数。911。これって日本で言うところの110番。

 やっぱり狙ったのかな?